ホーム » ブログトップ »恵比寿整体サロン プリマ・エセンシア»国松昊世の履歴書①
恵比寿整体サロン プリマ・エセンシアの
国松 昊世(くにまつ かいせい)です。
人が本来持つ美と健康を引き出し体現する
をモットーにあなたに最適な施術を提案し
全力で施術に取り組ませていただきます。
美容のお悩み、体のお悩みがありましたら
恵比寿・代官山で小顔整体と体調改善のサポートをしている
恵比寿整体サロン プリマ・エセンシアの国松昊世です。
日々、整体を提供している国松ですが、
今回から何回かに分けて自分自身について書いていきたいと思います。
国松がどんな人間で、どんな生き方をしてきたのか、をお伝えできればと思っております。
整体って基本的に人と人が触れ合うお仕事なので、
国松昊世がどのような人となりをしているかを知っていただくことが
安心感や信頼関係を築くうえでの出発地点になるかと思います。
しばしお付き合いいただければと思います。
1984年2月4日、雪の降る朝4時に、東京都墨田区で産声をあげました。
かなりの難産だったらしく、生まれた時から手がかかる子どもだったようです。
3人兄弟の真ん中で、兄と弟がいます。
全員驚くほど顔が似ていません。
が、声はかなり似ているようです。
生まれた時の流行は『にこにこ、ぷん』と『ポンキッキ』と『暴れん坊将軍』。
僕はポロリとガチャピンが大好きでした。
松平健さんは母方のおじいちゃんに似ていたような記憶があります。
この時期の記憶で、印象的に憶えているのが『紫色の空』。
雨上がりの夕方に見た空の色で、子供心に『世界って不思議』と思いました。
ちなみに当時は、英会話にピアノ教室にお受験用の塾に通っていましたが
ことごとく挫折&途中退会してます。
なんでも、授業の途中で外に逃げ出して失踪する、
登校途中で勝手にいなくなってしまうで、本当に迷惑をかけたことが理由のようです。
大人の足で自宅から徒歩10分程度かかるピアノ教室から失踪して、
親や先生方がいくら探しても見つからず、本気で誘拐を疑われたことがあったようです。
事の顛末としては、僕は自宅マンションに勝手に辿りつき、
家に入れないので屋上で一人遊んでいたところを見つかって無事確保されたようです。
この時点でのステータスは、『もれなく失踪乳幼児』。
当時の僕がなぜこんなだったのかは不明ですが、
『とにかく自由で好きにしていたい』という気持ちがあったことを憶えています。
こんな扱いづらい子どもをしっかり育ててくれた両親に本当に感謝しています。
なんとなく書いていたら長くなりましたので
こんな調子で何回かに分けて現在までを書き連ねていこうと思います。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
恵比寿整体サロン プリマ・エセンシア
国松 昊世